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研究会設立趣旨

 多くの医薬品は経口投与により、体内に取り込まれた後、小腸および肝臓に存在する 代謝酵素群により、代謝されて体外に排出される。薬物代謝の第1相反応においては CytochromeP450(CYP)スーパーファミリーに属する酵素群が最も重要であるが、特 に重要な CYP として、CYP1A2、 CYP2C9、CYP2C19、CYP2D6 および CYP3A4 が挙げられる。これらの CYP による薬物の代謝、及びその阻害による薬物相互作用 は薬剤開発において、どうしても避けなければならない課題のひとつである。医薬品 候補化合物の代謝、あるいは薬物相互作用を予測することは非常に重要であるが、 CYP がヘム鉄を含む金属タンパク質であり正確な電子状態がわからないため、CYP の立体構造に基づいた基質結合および反応様式を予測する Structure-Based Drug Design(SBDD)が難しい。そのため製薬会社においては、スピードを重視し、化合 物側の構造的情報から Ligand-Based Drug Discovery(LBDD)による手法を取らざ る得ない現状である。通常の酵素阻害剤の創薬においては常識の SBDD ができない理 由は、Fe を含有するタンパク質の電荷状態を含む正確な構造情報が圧倒的に不足して いるからである。乳がん治療薬アナストロゾールはアロマターゼ CYP19A1 の阻害剤 であるが、精密な SBDD が可能になれば現存する治療薬をはるかにしのぐ医薬品の開 発が可能になると思われる。ステロイドホルモンや生理活性脂質の代謝に関わる CYP については阻害剤が治療薬になる可能性を秘めており、SBDD の重要性はきわめて大 きい。したがって、本技術を確立することは多くの製薬会社にとって役立つ基盤技術 となりうる。我々は、CYP の SBDD を可能にするために、X 線結晶構造解析、X 線・中性子小角散乱法、中性子構造解析により CYP の非凍結構造を明らかにし、可 動性のループ構造、アミノ酸残基の解離の有無、水分子の配置などを明らかにするこ とにより、種々の基質あるいは阻害剤が結合した CYP の正確な構造情報の取得を目 指す。そこでまずビタミン D の代謝に関与するミトコンドリア型 CYP24A1 および放 線菌由来の CYP105A1 をとりあげ、詳細な立体構造情報をもとに量子論に基づく高精 度分子シミュレーションを実施し、CYP の機能をより効果的に制御可能な新規リガン ドの SBDD を確立したいと考えている。

ビタミンD代謝に着目する理由

「ビタミン D 不足は世界的問題である」とアメリカ国立衛生研究所(NIH)は指摘して いるが、なかでも日本人の血中ビタミン D 濃度は極めて低いため厚生労働省は 2018 年 12 月ビタミン D 摂取基準値の引き上げを発表した。ビタミン D はカルシウムや骨 の代謝に欠かせない栄養素として知られている。戦後、昭和 30 年頃まではビタミン D 不足でくる病の子供や骨軟化症の大人が多かったため、肝油を子供に飲ませる習慣 があったが、食生活が豊かになりくる病の子供も減りこのような習慣は消滅した。し かし、現在も国民の多くがビタミン D 欠乏であることがわかっている。ビタミンDは 太陽光(UV)により皮膚でつくられるが、それだけでは不十分で食事からの摂取が 必要である。日焼け止めクリームの影響(特に若い女性)と食生活の変化(魚類摂取 量の低下)がその原因であると推測されている。薬剤として国内外の複数の製薬企業 より骨粗鬆症や乾癬の治療薬としてビタミンD類縁体が上市されている。近年、ビタ ミン D についてさらに研究が進み、健康に対するより様々な効用があることが明らか になっている。まず、免疫力の向上やアレルギー症状を改善する作用である。ビタミ ン D には細菌やウイルスを殺す「カテリシジン」というタンパク(抗菌ペプチド)を 作らせる働きがある。また「β-ディフェンシン」という抗菌ペプチドを皮膚上に作ら せ、バリア機能を高めていることもわかってきている。近年、花粉症の発症要因のひ とつに腸の関与が指摘されている。リーキーガット症候群といって、腸の粘膜細胞間 の結合が緩んで隙間が大きくなるため未消化で分子が大きいままのタンパク質や糖、 さらには口から入った花粉などが腸壁から漏れ出て体内に侵入するため過剰なアレル ギー反応を惹き起こす。ビタミン D はこの緩んだ腸粘膜細胞間の結合に関与するタン パク質を多くつくらせることにより結合状態を改善し、花粉症を改善する可能性があ る。また最近ビタミン D が心や神経のバランスを整える脳内物質セロトニンを調節す ることがわかり、うつなどのメンタル症状に効果的であることがわかってきた。例え ば北欧諸国は自殺率が比較的高いとされているが、日照時間の短さからくるビタミン D 合成不足が一因ではないかとされている。近年の研究で、細胞増殖を抑えたり、細 胞死を促進したりする作用により、がんを予防する効果があると考えられている。人 を対象としたコホート研究においても、血中ビタミン D 濃度が上昇すると、大腸がん や肺がんを発症するリスクが低下することが報告されている。このように、さまざま な効能が言及されているビタミン D であるが、独特の代謝をうける。富山県立大学の 榊らはビタミン D の代謝においてきわめて重要な役割を果たしている 4 種の CYP (CYP2R1, CYP27A1, CYP27B1, CYP24A1)を酵母内あるいは大腸菌内で発現させ ることに成功し,それらの酵素学的性質を解明した。基質非結合型のラット CYP24A1 については既に X 線結晶構造解析によりその立体構造が明らかにされた が,ミトコンドリア型,ミクロソーム型 P450 はいずれも膜結合型で結晶化が困難 で、本研究会で研究を進めるヒト CYP24A1 については現在、結晶化研究を進めてい る。帝京大学の橘高らが合成した数多くのビタミン D 誘導体は優れた抗がん作用、骨 量増加作用および乾癬治療効果を有するが、ビタミンD受容体への親和性が高いこと に加え、CYP24A1 による代謝を受けにくく生理活性が持続することが大きな要因に なっている。精密な SBDD が可能になれば、さらに優れた性質をもつビタミン D 誘 導体の開発が可能になる。一方,放線菌由来の水溶性 P450 である CYP105A1 は結晶 化が容易であり、榊らにより立体構造が明らかにされた。現在、三上、保川、滝田に より種々の基質との複合体の構造が明らかにされつつある。また、杉山らによりX線 小角散乱の研究が進んでいる。CYP105A1 は、ビタミンDを基質として 25 位水酸化 と 1α位水酸化活性を併せ持つため、25 位水酸化酵素である CYP27A1,CYP2R1 や 1α位水酸化酵素である CYP27B1 の基質結合様式が共通していると推測される。ま た、CYP105A1 はジクロフェナックなどの多くの非ステロイド型抗炎症剤や種々のス タチン系化合物を代謝することから薬物代謝型 CYP の性質を併せ持つと考えられ る。構造が全く異なる基質が結合した時の CYP105A1 の立体構造情報の蓄積は精密な SBDD を可能にすると考えられる。今後、CYP105A1 および CYP24A1 において多く の基質あるいは阻害剤との複合体構造を取得し、量子論に基づく高精度分子シミュレ ーションと組み合わせることで、その作用メカニズムを電子レベルで明らかにする。 本研究の成果は CYP 全般に応用できるため、医薬品候補化合物の CYP による代謝予 測や CYP 阻害剤の開発にきわめて有用な情報を提供していきたい。